みぬめ脇浜 エコロジー賛助会 みぬめ脇浜 エコロジー賛助会

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みぬめ脇浜エコロジー賛助会について


東京・日本橋生まれの
不世出の大文豪、谷崎潤一郎公は、
関東大震災を機に関西へ移り住み、
豊かな文化に接し、歴史的な美に触れます。

昭和20(1945)年8月6日の神戸大空襲で、
万葉から詠われた「みぬめの浦」と同じく、
神戸・魚崎の自宅も焼失しますが、
谷崎公は戦火を逃れ、大戦後は京都に転居し執筆を続け、
大阪の旧家家族の豊かな阪神間の数年に渡る
出来事を描いた「細雪」を完成させます。

地域の歴史、文化を保全する目的で
設立された私ども賛助会は、
大空襲で有形なるものは失われても、
みぬめの浦並びに阪神間の豊かな文化性を、
その筆と見識で保全された深き遺徳に対し、
敏馬神社への歌碑奉納を以って
報いたいと願う次第であります。

一般社団法人 みぬめ脇浜エコロジー賛助会
令和4(2022)年9月29日

1 1 谷崎潤一郎とは

谷崎潤一郎 (1886-1965)、
日本を代表する世界的文豪。東京日本橋生まれ。

和辻哲郎らと文芸雑誌新思潮を立ち上げ、
「刺青」などを発表し文壇に認められる。

大正12(1923)年の関東大震災以後、
関西へ移住。
語りの文体を磨き、「吉野葛」、「春琴抄」
などの名作を発表。

第2次世界大戦中
「源氏物語の現代語訳」を完成させ、
大作「細雪」を執筆。

そして戦後の昭和24(1950)年、
文化勲章を授与される。

この谷崎潤一郎像
(芦屋市谷崎潤一郎記念館所蔵)は、
昭和21(1946)年3月、
洋画家,内田巌が
敗戦後も疎開生活を続けていた谷崎の
もとを訪れ描いたもの。
戦時中、当局からの圧力によって
出版を差し止められていた「細雪」を、
なおも書き続けた
谷崎の姿勢に感銘を受けて描く。

敏馬神社 敏馬神社 Protect the Forest of Shrine Protect the Forest of Shrine

1 1 歌碑奉納儀

夏になれば遠浅の海の眺めは、
恋しさがまして、
古代、娘たちが海藻を刈った
華やぐみぬめの浦となるかもしれない


谷崎公が、万葉歌人から詠われた「みぬめの浦」を本歌取り
(古典名歌の一部を取り入れ、その連想で新しい膨らみを持たせる手法)で、
昭和4年に詠った歌の碑。

令和4(2022)年9月29日に執り行なわれた
その除幕の神事を、
神社東側に『敏馬の泊』という都へ向かう
外国使節団が立ち寄る国際港があった歴史的背景から、
「航海安全」「災厄や悪縁解除」のご利益があるといわれる
神戸市最古の神社、敏馬神社
宮司 花木克己様にお願い申し上げました。

また、神戸・摩耶山にある天上寺副貫主 伊藤浄真様に、
めでたく除幕されました谷崎公の歌碑に、
慶びと共に楽しむ、ご法楽作法、慶讃文をお願い申し上げました。

804(延暦23)年遣唐使に随行し、入唐求法された弘法大師は、帰国後816年に高野山を開山されます。またその前に『敏馬の泊』を山裾にもつ天上寺に、中国・南朝梁の武帝(502-549)自作の、お釈迦さまのお母さま、摩耶夫人のお像を、謹んで奉納されました。

よって女人禁制の高野山に対し、摩耶山天上寺は「女人高野」として信仰を広め、高野山の地元の和歌山からも女性が多数参詣に訪れるようになり、その参詣道の起点が敏馬神社の「みぬめの浦」でありました。

1976(昭和51)年に火災で伽藍を消失した天上寺は、阪神淡路大震災の10年前に、本堂を落成。賛助会発起人島田文六もその勧進に参加させて頂きました。

その重なるご縁から、歌碑奉納儀のご法楽作法に至りました。

敏馬神社 敏馬神社 Protect the Forest of Shrine Protect the Forest of Shrine

谷崎潤一郎とみぬめの浦 古代から詠み讃えられた美しい景観の
みぬめの浦の浜辺には、
字(アザ、=旧村)島田がありました

昭和4(1929)年に詠まれた谷崎公の歌碑は、
敏馬神社の東南の境内に奉納されました。

歌碑の東には、発起人島田文六の父・文一郎の刻銘がある
風土碑が同年10月4日に奉納されています。

同年同月の24日には、ニューヨーク株式市場の大暴落、
いわゆる「暗黒の木曜日」が起きます。
そして世界に大恐慌が広がり、
結果、第2次世界大戦を引き起こします。

歌碑の西には、同じく文一郎の刻銘がある
灯篭が昭和12(1937)年8月に奉納されています。

同年前月には、北京郊外で盧溝橋事件が発生し、
いわゆる支那事変が起きます。
そして日本は昭和16(1941)年からの大戦に向かいます

昭和20(1945)年8月6日の神戸大空襲で、
文化豊かな阪神間も、みぬめの浦も消失。
その2日後、8日に島田文一郎も亡くなります。

しかし谷崎公は、その戦時下生き抜き、
昭和11年から16年までの阪神間を舞台とする
「細雪」を書き続けられ、みぬめの浦の歌とともに、
戦前の美しき思い出を保全されました。

地域の文化を守ろうとした先人を偲び、
私ども賛助会が、谷崎潤一郎公に
深くご恩を感じる故がここにございます。

  • みぬめ脇浜を歴史遺産にするとともに地域文化を保全
  • みぬめ脇浜を歴史遺産にするとともに地域文化を保全
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敏馬神社 敏馬神社 Protect the Forest of Shrine Protect the Forest of Shrine

1 1

歌碑献上品



「イワシ曳く、網をはじめて 敏馬かな」
呉春(1752-1811)

谷崎公は、戦後昭和21年に京都に移住。
そして京都で、「細雪」を完成させます。

また執筆の傍、「上方は美食家の天国」と、
東京・日本橋生まれの谷崎公は、
京都の美食を巡ります。
そのご贔屓が四条上ルのたん熊さん。

谷崎公が本歌取りで詠う「みぬめの浦」には、
蕪村(1716-1783)とその門下の歌の流れがあります。

蕪村の弟子、京都・四条生まれの呉春が、
のちに始祖となるのが、上村松園もその系図につらなる
日本絵画に燦然と輝く四条派。

日本画の四条派の
「丁寧な味わいに、彩色鮮やか」は、
まさに京都・四条上ルたん熊さんのお味。

たん熊北店本店の大将、栗栖正博様に
谷崎公が愛したたん熊の
お弁当を歌碑に献上して頂きました。

谷崎潤一郎歌碑献上
御弁当御献立 みぬめ脇浜を歴史遺産にするとともに地域文化を保全

[上段]

  • ・銀鱈西京焼
  • ・サーモン山椒焼
  • ・秋刀魚幽庵松の実焼
  • ・秋茄子田楽
  • ・丹波鶏香味焼
  • ・合鴨ロース
  • ・鯛梅しそ揚げ
  • ・舞茸化粧揚げ
  • ・車海老吉野煮
  • ・射込み高野
  • ・絹さや
  • ・角南京
  • ・六方小芋けしの実揚げ
  • ・蛸柔煮
  • ・丸巻玉子
  • ・諸子甘露煮
  • ・丸十蜜煮
  • ・竹串差し
    •       銀杏有平・玉人参
  • ・焼目胡麻餅 べっこうあんかけ
  • ・鱧南蛮漬
  • ・海月、胡瓜芥子酢味噌和え

[下段]

  • ・穴子中袖寿司
  • ・鯖中袖寿司
  • ・白身入 栗、占地御飯 三つ葉ちらし
  • ・牛時雨煮 紅葉魅
  • ・菊菜、菊花胡麻和え 紅蓼
  • ・香の物
    •      べったら
    •      野沢菜
    •      奈良漬


谷崎公が「細雪」の執筆を始めたのが、
神戸市東灘区の反高林の家、今の「倚松庵」。
転居魔の谷崎公が7年も、松子夫人とその家族と住まれた家。
その反高林の「倚松庵」が南に臨む、
灘五郷。

そして谷崎公が好きだった酒粕饅頭。

灘五郷、虎屋吉末の若主人、萬田悠介様に、
黒糖酒粕塗り羊羹を、
歌碑に献上して頂ました。

谷崎潤一郎歌碑献上 
黒糖酒粕塗り羊羹 みぬめ脇浜を歴史遺産にするとともに地域文化を保全
成分

北海道産小豆、国内製造黒糖、国内製造砂糖、
有機アプリコット、酒粕、寒天


  • みぬめ脇浜を歴史遺産にするとともに地域文化を保全
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敏馬神社 敏馬神社 Protect the Forest of Shrine Protect the Forest of Shrine

奉納

一般社団法人 みぬめ脇浜エコロジー賛助会
発起人 島田文六

賛同


中村美律子
藤田登美
浅野幸子
藤井郁郎
萬田悠介
佐野健二
マイケル・パウロ
市村有紀子
鈴木敏夫
宮崎駿

  • みぬめ脇浜を歴史遺産にするとともに地域文化を保全
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