みぬめ脇浜 エコロジー賛助会 みぬめ脇浜 エコロジー賛助会

History of the Minume Shrine History of the Minume Shrine 敏馬神社の歴史 敏馬神社の歴史

みぬめ脇浜エコロジー賛助会について

敏馬神社に関する最古の記述は奈良時代(8世紀)に編纂された『摂津風土記』。
そこにはこう書かれています。

『神功皇后が、朝鮮出兵に先立ち、神前松原(現在の神崎川)で神様をお集めになり占ったところ、
能勢の美奴売山(現在の三草山)の神様のお告げにより、
美奴売山の杉の木で船を作って出兵したところ大勝利を収められた。
ご帰還の際この地で船が動かなくなり、再び占い問うと「神の御心なり」と。
よって美奴売山の神様をこの地におまつりし、船も献上した』

敏馬神社は、神功皇后の伝説、そして神社東側に『敏馬の泊』という都へ向かう
外国使節団が立ち寄る国際港があった歴史的背景から、
「航海安全」「災厄や悪縁解除」のご利益があるといわれています。

神戸市最古の神社 神戸市最古の神社 The Oldest Shrine in Kobe City The Oldest Shrine in Kobe City

平安時代(10世紀)に編纂された『延喜式』にも敏馬神社の記載があります。
そこには「生田、長田、敏馬」と記載されており、『延喜式』に登載された神社は「式内社」といわれ、格式の高い神社といわれています。このことから、敏馬神社は市内最古の格式の高い神社の一つとされています。

Overcoming Hard Time Overcoming Hard Time 困難を超えて 困難を超えて

  • 現在、みぬめの浦は埋め立てられ姿を消しており、敏馬神社のみがこの地に在ります。1995年(平成7年)の阪神淡路大震災後では本殿と社務所が崩壊し、7年の歳月をかけて再建したという苦難がありましたが、敏馬神社は古代より変わらずにこの地と人々を災厄から守ってきました。

  • 敏馬神社 宮司

    敏馬神社の歴史と阪神淡路大震災時の状況について

敏馬神社の鎮守の森を保全

玉藻かる敏馬をすぎて夏草の野島の埼に船ちかづきぬ 玉藻かる敏馬をすぎて夏草の野島の埼に船ちかづきぬ (柿本人麻呂)

平成の終わりを迎える2019年、敏馬神社はご鎮座1818年となります。
みぬめ脇浜エコロジー賛助会は、鎮守の森を保全し、敏馬神社がこれからの未来
1000年続きますよう微力ながらも努めてまいりたいと考えています。
敏馬神社の鎮守の森を守るためのご寄付を、ご検討頂けますと幸いです。

口座名 :
敏馬神社 宮司 花木直彦 
ミヌメジンジャグウジハナキナオヒコ
銀行名 :
みなと銀行 水道筋支店
口座番号:
普通預金 3899994